家事・育児・仕事・夫婦関係…全部背負ってきた私の現実

専業主婦には“休日”がない。
子どもがいれば、なおさらだ。
朝起きた瞬間から、家事と育児のスイッチが勝手に入る。
ご飯、洗濯、片付け、子どもの相手…。
どれをやっても誰かに褒められるわけでもなく、評価されるわけでもない。
「夫が働いてくれているから、私たちは生活できている」
そう思うと、夫の体調を心配したり、愚痴を聞いてあげなくちゃと気を遣ったり、どうしても“遠慮”が生まれる。
その一方で、夫がソファで休んでいる間も、
私は子どもの相手をしながら料理、片付け、洗濯……。
気づけば、朝から晩までほとんど座っていない。
家事が終われば育児。
育児が落ち着けばまた家事。
“自分のための休息”がどこにも存在しない。
そしてふと思う。
この家は3人で住んでいるはずなのに、どうして“私ひとりの仕事”みたいになっているんだろう。
私は家事のプロでも、育児の専門家でもない。
料理も掃除も洗濯も——全部、ひとつの「スキル」が必要な立派な仕事だ。
それを毎日ひとりで抱え込んでいれば、
疲れ切ってしまうのは当然のこと。
この「当たり前にやってきたこと」を振り返ったとき、
私は初めて、
“私がしんどかった理由”が見えてきた気がした。
本当は一人が好きなのに「人間関係が苦手」で疲弊する毎日
私がどうしてこんなに疲れてしまうのか——
その理由を考えてみると、思い当たることがあった。
私はずっと“一人で過ごす時間”が好きなタイプだった。
ひとりっ子ということもあり、ゲームをしたり、本を読んだり、勉強したり。
自分のペースで時間を組み立てることが、何よりの充実だった。
でも今の生活はどうだろう。
娘のそばに常に寄り添い、話しかけられたら返事をし、お世話をし続ける毎日。
夫が帰宅すれば、夫の話を聞きながら家事をこなす。
娘が園でうまくやっていけるよう、ママ友や先生との関係にも気を配る。
義母からのLINEにも丁寧に返し、家族の予定にも合わせる。
気づけば、自分の時間がどこにもない。
“誰かと関わる時間”が生活のほとんどを占めていて、
本来の私の性質とは真逆の生き方になっていた。
そりゃ疲れて当然なのだ。
しかも専業主婦という立場は、環境を変えたり、関わる人を選んだりもしにくい。
「今日は誰とも話したくないな」と思っても——
育児も家事も、対人関係も、止めることができない。
選択肢がない状態で人間関係を続けるのは、
どんな性格の人でも心がすり減ってしまうものだ。
そう気づいたとき、
“私は弱いんじゃなくて、性質と環境が合っていなかっただけだ”
と少しだけ肩の力が抜けた。
気力が続かない・飽き性・気分屋…これって本当に“悪いこと”?
私はずっと、自分のことを「飽き性で、続かない人間」だと思い込んでいた。
ダイエットも、勉強も、昔始めたブログも。
家の片づけだって「よし、やるぞ!」と気合を入れてみても、1週間後には元通り。
そのたびに落ち込んで、
「だから家事も苦手なんだ…」
「主婦としてもダメなんだ…」
と自分を責めていた。
でも、最近思った。
そもそも“目標もゴールもない状態”で、誰がずっと頑張れるんだろう?
学生の頃、私はそれなりに勉強ができて、テストも頑張っていた。
でも振り返れば、頑張れた理由は単純で、
“テストというわかりやすいゴール”があったから。
じゃあ主婦業にはそのゴールがあるのか?
料理は食べたら終わり。
洗濯物は次の日にはまた増える。
掃除も毎日リセットされる。
主婦業には「やりきった!」という区切りがほとんどない。
だから達成感も少ないし、やる気が続きにくくても当たり前。
つまり、
“飽き性だから続かない”んじゃなくて、
“続きにくい構造の中で頑張っていた”だけだった。
そう思えた瞬間、少し肩の力が抜けた。
だからこそ、これからは
「私は続かないからダメなんだ」ではなくて、
“飽き性な私でも続けられる仕組みって何だろう?”
と考えることが大事なんだと気づき始めた。
私は続かない人間なんじゃなくて、
ただ、続けるための環境やルールを知らなかっただけ。
そう思えたら、ちょっと未来が軽く見えるようになった。
私は何に疲れている?弱点を書き出して気づいた意外な事実
「私は家事が苦手だから疲れるんだ」と思い込んでいたけれど、
ノートに“つらい家事”をひとつずつ書き出してみたら、
見えてきたのは思っていたのとは全然違う理由だった。
たとえば、
自分だけが片付けをしていること。
(そもそも“物の定位置”が決まっていないから家族が片付けられない)
夕方が忙しすぎること。
(ご飯作り・娘の世話・お風呂の準備がいっぺんに押し寄せる)
洗濯物を畳むのがどうしてもつらいこと。
(畳む→しまう動線が悪い)
こんなふうに並べてみると、
「私がだらしないから」「私の段取りが悪いから」
という単純な話ではなくて、
そもそも “仕組み” や “環境” が整っていなかっただけ
ということに気づいた。
家族と暮らしているのに、
片付けや家事の仕組みが共有できていなければ
どうしたって一人に負担が集中するし、
毎日同じ時間帯に家事が渋滞してしまえば、疲れやすいのも当たり前だ。
それでも私はずっと、
「もっと私が頑張れば…」「飽き性な自分が悪いんだ…」
と、原因を自分にだけ押しつけていた。
でも実際は、
“どうやったら片付けやすくなるか”
“家族も協力できる仕組みに変えられないか”
“夕方の家事を別の時間に移せないか”
と、環境を整えれば楽になる部分がたくさんあった。
もちろん、家族のために自分のしんどさを横に置いて頑張れるのはすごいことだ。
でも——
置き去りにされた自分の疲労はどうなるんだろう?
そんなままでは、
本当の意味で自分の人生なんて楽しめない。
だから私は、
「私が悪い」で終わらせるんじゃなくて、
“どうすれば楽になるか”を考えることこそ大事だと気づいた。
根性論ではなく、仕組みづくり。
これが、私が自分の弱点を書き出してわかった一番の発見だった。
“続かない私”でも続けられる環境づくりを始めることにした理由
ここ最近、私はようやく気づいた。
私に必要なのは「頑張ること」ではなく、“頑張らなくても続けられる環境”だということに。
飽き性でも、気分屋でも、疲れやすくてもいい。
大事なのは、
自分の得意・苦手をちゃんと理解して、それに合う仕組みをつくること。
いきなり完璧を目指す必要なんてない。
人が変わるにはエネルギーが必要だし、環境を整えるには時間もかかる。
でも、少しずつでも「昨日よりラクになる仕組み」を積み重ねていけば、
それは確実に自分を救ってくれる。
私がこうしてもう一度ブログに挑戦しようと思ったのも、
誰かにすごいと言われたいからでも、
ブログで月100万円を稼ぎたいからでもない。
未来の私に“自由に選べる人生”を渡したいから。
自分の力で、自分を大切にできるくらいの収入を得られるようになりたい。
それだけで、私の人生はきっと変わると思った。
これからも、家事でも、副業でも、生活の仕組みでも、
私は試行錯誤を続けていく。
もし、この文章を読んでくれているあなたが
「こんな主婦もいるんだ」
「じゃあ私も少しだけ頑張ってみようかな」
そう思ってくれたなら、それだけで本当に嬉しい。
私はまず、ブログを続けることから始めます。
あなたも、あなたのペースで。
無理のない一歩を一緒に踏み出せたら嬉しいです。


コメント