道の駅でノートを開いた日——すべてはここから始まった

その日は、いつも通り娘をこども園に送った帰り道だった。
数日前に夫と大きな言い合いになって、「もう一緒に暮らせないんじゃない?」と言われた言葉が、ずっと胸の奥で重く沈んでいた。
売り言葉に買い言葉だと頭ではわかっていても、離婚なんて一度も考えたことがなかった私は、その言葉をきっかけに初めて「もしもの未来」を想像してしまった。
でも今の私は専業主婦で、経済力もない。夫から「今の時代、専業主婦を養っていけるわけないよね?」と言われたことも思い出して、苦しくなった。
このままじゃいけない。何かを変えないといけない。
そんな散らかった頭を一度整理したくて、私は歩いて道の駅へ向かった。そこでノートを開き、これからのことを書き出してみようと思ったのが、すべての始まりだった。
「10年に一度の確変」——人生が変わるタイミングが来ている気がした
道の駅の、落ち着けるテーブル席に腰を下ろし、ノートを開いた瞬間、不思議と胸の奥がふっと軽くなった。
ここ数年は娘の世話に追われて、気づけば自分の時間なんてほとんどなくて。
「私はこのまま終わっていくのかな…」というモヤモヤだけが積み重なっていたし、何をしてもパッとしない自分に疲れていた。
でも、この日はなぜか違った。
「人生の大きな転機が来ているのかもしれない」
そんな感覚が、不意に胸をよぎった。
まるで10年に一度だけ訪れる“確変”みたいに。大げさに聞こえるかもしれないけれど、心のどこかで——
今動かなきゃ、また同じ毎日を繰り返すだけだと強く直感していた。
環境も、未来も、お金のことも、家族のことも。
全部いったん見直すべき時期が来ている——
その予感だけは、はっきりしていた。
28年間、やる気が続かなかった私が気づいたこと
昔から私は、何かを「続ける」ということが本当に苦手だった。
大学生の頃だって、ノマドやフリーランスの本を読んで「自由に働きたい!」なんて熱くなってみたものの、1ヶ月もすれば元の生活に戻ってしまった。
ブログで副収入を得ようとアカウントだけ作って終わったこともある。片づけだって苦手で、部屋が散らかっているのは“私らしさ”だと思い込んでいた。
やりたいことはたくさんあったのに、どれも続かなかった。
だから、「変わる!」なんて言っても、どうせまた日常に飲まれてしまうんじゃないか……そんな諦めの気持ちが自分のどこかにずっとあった。
でも、最近になって気づいたことがある。
私はやる気がなかったわけじゃない。ただ、“この先の自分がどうなりたいか”という未来が曖昧だっただけなんだ、と。
もし、自立して自分の力で生活できて、誰にも縛られずに自由に生きられる力を手に入れられたら?
そんな未来がほんの少しでも具体的に見えた瞬間、胸の奥で眠っていた“変わりたい”が“変われるかもしれない”に変わった。
やろう、という気持ちが、確かに湧き上がってきたのだ。
自立は“辛い選択”ではなく、私が幸せに生きるための選択
自立することは、決して“辛い道”を選ぶことじゃない。
誰かを見返したいわけでも、夫を責めたいわけでもない。 ただ、私が幸せに生きるための選択肢を増やしたい——その気持ちが大きかった。
数日前の喧嘩で言われた「もう一緒に暮らせないんじゃない?」という言葉は、今でも胸の奥に小さく刺さっている。
でも、その言葉がきっかけで初めて気づいたことがある。
私はずっと「結婚したら、何があっても一生添い遂げるものだ」と思い込んでいた。だから“離れる未来”なんて考えたこともなかったし、自分が生きていく力をつける必要も感じてこなかった。
でも——もし経済的に自立できて、自分の足で立てるようになったら?
それだけで、選べる未来は驚くほど増える。 夫とこれからも一緒に暮らすのも、自分のために別の道を選ぶのも、どちらでも選べる“自由”が手に入る。
自立は、何かを失う決断じゃない。 むしろ、自分の幸せを守るための“土台”を手に入れることだと、このときようやく気づいた。
夫とも娘とも、犬たちとも幸せに暮らしたいからこそ“自立”が必要
経済力を手に入れたら、きっと今とは見える景色も選べる未来も変わるだろうと思っている。
でも、娘もいるし、犬たちもいる。守るものが多い以上、今すぐに何かを決断することなんてできない。
だからこそ、まずは——自分ひとりで立てる力を持ちたいと思った。
夫の扶養に入り、何かを買うたびに「これは必要かな?今じゃないほうがいいかな?」と自分にブレーキをかける生活。
可愛い1,000円のポーチでさえ迷い、結局諦める自分がいる一方で、
夫は家庭用のピザ窯を買って趣味に没頭し、オーダースーツを仕立てる。
もちろん、同じものが欲しいわけじゃないし、お金を好きに使いたいわけでもない。
家計を圧迫しない範囲でなら、夫には趣味を楽しんでほしいとも思っている。
それでも——どうしてもモヤモヤしてしまう。
「なんで私はこんなに我慢しているのに、夫ばかり自由なんだろう?」
そんな僻みに似た感情がふっと顔を出すたび、自分が少し醜くなっていくようで、余計につらかった。
だから、自立したい。
誰かに許可を求めずに、自分の判断で生活できるようになりたい。
その力があれば、夫婦としてどう生きるかも、自分の幸せをどこに置くかも、もっと誠実に選べる気がした。
15年後の私はどうなっている?未来のビジョンを書き出してみた
15年後は、今3歳の娘が18歳になって、 今6歳の2匹の犬たちも——悲しいけれど、きっと見送った後だろう。
妻として、母として、そして飼い主としての責任を果たした「その後」が、私にとっての15年後だと思っている。
そのときの私は、好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、 自分のリズムで暮らせる生活を取り戻していたい。
昔は朝5時に起きて、ひとりで静かにゲームをしたり、勉強をしたりする時間が大好きだった。
そんな“私らしさ”を取り戻したい。 そして、そのそばには変わらず大好きな犬がいてくれたら、それだけでいい。
けれど今の私は、家庭という檻の中に閉じ込められているように感じる瞬間がある。
妻だから、母だから、大人だから—— いつの間にか、そう自分に言い聞かせて本音を押しつぶすことが当たり前になっていた。
そのたびに、自分が自分じゃなくなっていくようで苦しかった。
でも、本当に“自分の幸せを追い求めること”って、そんなに悪いことなんだろうか。
むしろ自分が幸せでなければ、家族に優しくできるはずがない。
だから私は、まず経済力をつけたいと思った。 自分の人生を選べる力を手に入れたとき、15年後の未来はきっと変わる。 その未来は、今日の私の行動からしか始まらない。
このブログで発信していくこと——私の挑戦の記録
もっと経済力をつけられたら——私の生き方はきっと変わる。
選べる未来が増えるし、「我慢しなくていい自分」に近づけるはず。
いつか、きちんと胸を張って「これが私の人生です」と言えるようになりたい。
娘にも、犬たちにも、そして何より自分自身に、誇れる生き方を渡したい。
だから今は、悩むことも揺れることも全部抱えたまま、 それでも前に進む力だけは手放さずにいたいと思っている。
15年後の私は、きっと今よりずっと軽やかで、まっすぐで、自分らしい。 そこにたどり着くために——今日も小さく、自分の足で立つ練習を続けていく。
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